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 講 演 要 旨


香川綾の生涯と栄養学の歩み
福田恵美子 女子栄養大学名誉教授



目次
1.栄養学とは
2.香川綾が目指したこと
3.香川綾が成し遂げたこと
4.香川綾を育てた環境
5.女子栄養学園の発展・戦災・昇三の急逝・戦後の復興に見る香川綾の実行力
6.香川綾の三つ子の魂
7.結語
参考文献

1.栄養学とは
1−1 栄養学の起源
 「これを食べると滋養になるよ」と各地に伝わる食べ物がある。
 例:丹波篠山の黒豆の煮汁(cf. 参考文献34)
  ←→ 人間の不老長寿の願望

1−2 食物栄養学
 現代科学として・・・食物の化学分析、化学反応と触媒、活性化エネルギーのこと、
栄養素(蛋白質・糖質・脂質・ミネラル・ビタミン等)の化学構造など分かってきた。

1−3 予防医学としての栄養学
動物実験・・・食物と病気との関係の確認
人間の場合・・・(明治・大正・昭和初期)精白米の普及→脚気の蔓延→脚気亡国論
→鈴木梅太郎のオリザニン発見(明治43年)→ビタミンB1,B2の発見(昭和2年)
→ビタミンB1の合成(昭和11年)→脚気はビタミンB1の欠乏
現在では口から入った食物が臓器の各所で消化酵素を触媒として、化学反応を起こして分解し、小腸に至って栄養分が小腸の壁から吸収透過され、血管やリンパ管を通じ全身に運ばれること、不要な老廃物は排泄される仕組みが解明されてきた。
解明に貢献した例:アメリカにおける胃液の研究(1833 バーモント) ( cf. 参考文献33)
消化過程の概念図 (Fig.1);呼吸と飲食物から摂取した成分と人体を構成する成分との比較 (Fig.2);栄養素の化学的構造(Fig.3)

科学技術の発展の寄与:X線撮影・内視鏡・MRI(画像診断)・その他の使用による解明、
CGによる解説・ITによる啓蒙       

1−4 日本人にとっての栄養学
食糧難時代・・・「下限の栄養学」(生きていくために必要な食物の種類と量)
 飽食時代・・・・「上限の栄養学」(太りすぎない、病気にならないため摂取はここまで)
                               (cf. 参考文献26)
2.香川綾が目指したこと
 若くして母を病で失う→「医者になりたい」→「医者は病人を治すより、病気を予防するべき」→「正しい食べ方によって病気を予防できる」→「皆が健康で長生きをするように、栄養学を普及する」
 「健康とは、頭のてっぺんから足の先まで、人間の持つ命を躍動させて生きること」

3.香川綾の成し遂げたこと
◎ 栄養学の基礎研究と実践栄養学の提唱
・ バランスのとれた食事が大切なことを知らせる。
・ 何をどれだけ食べるか、その科学的根拠を与える。
・ 「栄養料理は不味い」という偏見を打破し、美味しくする。
・ 美味しさを(80%まで)計量的に実現する。そのため、名調理人の技を計量し、料理カードにする。
・ それまでのまちまちな重量表示をグラムに統一する。
・ 料理カードを見て再現できるよう計量カップ・計量スプーンを作成し、普及する。
・ 食べ方については、一目で分かり、実行できる方法を提言する。→四群点数法
◎ 教育機関の設立{家庭食養研究会→女子栄養学園→財団法人香川栄養学園→
駕籠町1933〜 駒込1937〜      駒込1948〜
女子栄養短期大学→女子栄養大学(家政学部食物栄養学科→栄養学部栄養学科
   駒込1950〜    駒込 坂戸1961〜          (寮あり) 1965
→学科増設            )・大学院(修士・博士)・香川栄養専門学校} 
1980保健栄養学科 1993文化栄養学科   駒込・坂戸1969〜  駒込
                             (注)坂戸・駒込:キャンパス名
◎ 付帯事業
・ 社会通信教育講座・公開講座(生涯教育)・家庭料理技能検定
・ 出版部・・・月刊誌「栄養と料理」(昭和10年創刊)・その他の書籍
・ 松柏軒(レストラン・学生食堂・カフェ)
・ 代理部(クッキー・調理器具等の販売)
・ 栄養クリニック(生活習慣病対策・その他の研究)
・ 学生の海外留学拠点の設営(西オーストラリアパースのCurtin 工科大内ほか)
・ 栄養科学研究所の付設
◎ 家庭生活・育児と職業の両立
香川昇三と二人三脚、戦争で被災、昇三急逝後4人の年子を立派に育て上げた。
◎ 模範的実践の公開
晩年、早朝毎日のジョギングなどを実施、身をもって実践栄養学の成果を示された。 

4.香川綾を育てた環境
4−1 香川綾の生涯(98歳まで) 
明治32年(1899)3月28日〜平成9年(1997)4月2日 
4−2 出生地
   和歌山県                 Fig.4 ↓(Yahoo検索によるマップ)

4−3 両親のこと
  父 横巻一茂・・・和歌山県の大農家の次男、努力家の警察官、県内で警察署長など歴任、異動後、加太町長を務める。晩年は大阪天下茶屋で貸し家業。
      豪放磊落、議論好き、人の相談に乗ることも多く、来客に夫人の手料理を振舞った。
      女でも学問があった方がよいとの考え、こどもに漢詩・漢籍の素読などをさせた。
母 のぶ枝・・・やさしく、物静か、料理上手(彼女の父は維新前、紀州徳川藩の食膳係をしていた)。食生活の大切さ・神を信じることをこどもへの形見として遺した。
    51歳で亡くなり、その結果、綾が医学の道へ進むことになる。兄妹弟が皆熱心なクリスチャンで、そのうち特に妹2人は綾にとって子供時代、学生時代の恩人。

4−4 受けた教育、学習状況および影響を受けた事柄
・ 田辺の小学校へ入学・・・田辺の叔母さんのいる、外国人宣教師宅にあずけられ、そこの小学校に行った。孤独感を体験、夏休みに帰省後は戻るのを拒否。
・ 加太という猟師町の小学校へ2年から5年まで通う。父親の転勤による。
活発・成績優秀、予習・復習せずセミやトンボ取り、相撲では男子に負けず、読書好き、正月は双六・かるた・百人一首などで遊ぶ。
・ 湯浅で、尋常高等小学校尋常科(明治44年3月)・高等科(大正2年3月)卒業

和歌山へ、昼は異母兄の店手伝い、夜叔父について数学勉強(師範学校受験準備)
   
・ 和歌山県立師範学校(和歌山城近く)へ入学
(師範学校より医者の学校に行きたい、と師範学校の入学試験には白紙答案を出したのに姉が優等生だったこと、本人も学校の成績が優秀だったこと、母親の死などが考慮されたために、入学許可がおりた!)
全寮制、厳しい規制、でも当時としては進歩的な校風、
その中で綾は自由奔放、はみ出し型優等生であった。
師範学校付属小学校教員の資格取得(大正7年)
→両親と大阪に移住、大阪市の小学校教員になる
本人の自覚:修身は教えられない! 教師の理想像から外れていた。

姉(女学校の家庭科の先生)と未亡人の叔母宅へと上京

・ 東京女子医專(吉岡弥生先生)に入学(大正10年 22才)
          → 大正15年卒業生(入学時120名)の会「一玉会」の会員
吉岡先生の教え
      「職業婦人になるなら、結婚してはだめだ」
「男も女も同じ人間として果たさなければならない使命がある。女だからといって、その責任を回避してはならない」

主として東大の先生方の講義あり。
基礎医学(生理学、組織学、解剖学、・・・)が面白くて仕方ない。
一学期間かけた人体解剖では 驚きと感激を味わう。
・ 内村鑑三先生の集会所へよく出かける。 
・ 慶応大学・三井慈善病院・松沢病院に研修や研究で通う
・ 関東大震災を体験、
「自然科学で解明されていることは、宇宙現象のごく一部に過ぎない」
と身をもって知る。
・ 東大島薗内科へ入局(大正15年〜昭和6年)。無給の「介補」として
島薗順次郎博士(1873-1937)
日露戦争(明治37,38年)のときの軍医、京大から東大教授、脚気の研究
「病気を予防するのが医者の本分だ」
医專3年時の綾は「臨床より基礎医学(生化学)をやりたい」と言ったが、
島薗先生に「何のために医專に?診察くらいはできるようになりなさい」といわれ、島薗内科へ入局した。

4−5 島薗内科で行った研究
・「ご飯の炊き方」(米の吸水率、浸水時間、とぎ水の温度との関係)
・「胚芽米の炊き方」(c.f. S3.「糧友」)
・「日本の食品のビタミンB含有量とそれに及ぼす調理の影響」
・・・動物実験(はと)
(生/加工品/加熱)(白米・野菜各種混合・・・組合せ・比率変えて)
・「胚芽米の作り方とその栄養価」(昭和6年 結婚後)

4−6 香川昇三との出会い
香川昇三は香川県出身(明治28年9月28日〜昭和20年7月17日)、俳人として「桂舟」。
Vitaminと脚気の研究に従事。
研究室ではハウプトとネーベンという役割での付き合いが始まった。
昇三31才、綾27才
  
4−7 綾が研究のため実行したこと、分かったこと
・ 病院給食用記録をとるためには料理法・料理名を知る必要あり。
→赤堀割烹塾へ通った。
・ 再現実験から分かったことは、食品の種類と調理法にある関係がある。
一つの料理を上手に作れれば多くの料理も上手に作れるということ。
・ 味のポイントは塩であり、人間の体液0.9%塩分より濃いか薄いかに関係がある。
・ 中島貞次郎氏のお店に修行に行き、築地市場で仕入れ・献立作成・八百屋・乾物屋での副材買入れ・店での下拵えなどを覚えた。

4−8 結婚と仕事
全国連合婦人会の幹部の集会で島薗先生の代理として話
→栄養改善活動を自分の仕事として考え始めた頃、結婚の話が出る。
島薗先生にいわれたこと「結婚はチャンス、仕事は一生だよ」
→ 昭和5年5月結婚(昇三35歳、綾31歳)
→ 夫婦で < 予防医学の研究と実践> を分担することに。
昭和6年、長女誕生前に退局、貸家業を始める
  
4−9 育児と仕事(家庭食養研究会の発足)
・(長女)芳子 2歳、(長男)靖雄 1歳、(次男)恒夫0歳、((三男)達雄(生誕前))という年子3人を抱えて、昭和8年5月家庭食養研究会(*)を設立。
・島薗先生にいわれたこと
「子どもはいくつになっても親にはそれ相応の責任があり、一生子どもから開放されるものではない。要は仕事をするかしないかの決心だけだ。」
・「家庭と職業の両立のために考えるべきこと」=「子供を殺さないこと」
←→食生活に注意すること、職住接近を心がけること
(*)家庭食養研究会の実情
・大和郷の自宅で発足
・十畳間を改造(床の間を教壇、回り縁に流し)
・講義週2,3回(1回島薗先生の特別講義)
・午前(講義):島薗先生/香川昇三/香川綾
・午後(実習):日本・中華・西洋料理
           名人の技を計量させてもらう
・生徒:東大医局員の家族・近隣の人達
・約20名で始めたが、増加して収容人数30名を越えたため、3ヶ月を1期とすることに。

5.女子栄養学園(**)の発展・戦災・昇三の急逝・戦後の復興に見る香川綾の実行力
(**)女子栄養学園(園主:香川昇三、園長:香川綾)(昭和12年〜)
・ 駕籠町190番地の蔦の絡んだ洋館 -------------→駒込に新校舎・寮4個所
・ 学習年限:1年                 ↑昭和17年 入学者240名
・ 全国から募集 → 応募者数 7名→12名→25名→↑ 自宅は香川栄養研究所に
・ 面接試験・健康診断実施
・ 講義:東大医学部・農学部の若手・俊英学者が中心「東大と同じだよ」
・ 昭和15年浦和に農場購入、調理材料を自給
 
5−1 戦時中の行動
  浦和の農場へ子供達を疎開させ、昇三は駒込、綾は浦和より駒込へ電車通勤。
  学園授業・防空壕掘り、消化訓練などがあり、
栄養学関連のこととしては、以下のことに貢献した。
・国民食(国民必要栄養量を満たす)決定
・食料統制(1日50銭以下?)
・国民食展覧会
・玄米食運動(吸収率の点では玄米食はよくないと考えた)
・家庭献立材料配給所
・栄養指導(軍隊基地)/炊事指導(炭鉱・農村)
・婦人会の座談会・講演会

5−2 昇三・綾が誓い合ったこと
「どちらかが一人になっても目的は一致しているのだから、生き残った者が二人の意思として仕事を続けよう。」
 目的は、すべての人の健康のために、栄養知識(栄養のバランスのとれた食事をする)を実生活に生かすことを教えること。健康のことを考え、実践するかどうかは、人間学の問題で、人間教育を目指すことになる。

5−3 学園の疎開と昇三の死
・ 昭和20年4月13日の空襲で学園焼失、浦和へ移転した。
・ 更に4月下旬、赤城山の麓、大胡町(群馬県)に疎開した。
・ 疎開学園の開校式後、昇三は子供達がいる浦和へ行き、綾とは2ヵ月半の別居生活となる。
・ 昇三は激務のあと大胡町に到着、その夜脳溢血で倒れ、綾の介護の後死去。(7月17日)
・ 学園は疎開先でも群馬大の石原学長の協力を得て、駒込時代に遜色ない内容を維持した。ただし、食糧確保に苦労、お返しの形で村の食生活改善に寄与した。(昭和23年には栄養生活普及会に発展した。)
・ 21年春には第1回「国民栄養調査」が実施された。
・ 21年6月末 卒業式を挙行
・ 預金封鎖により、学園解散の危機に。
・ 同年8月大胡から浦和へ戻る。

5−4 戦後の学園復興
・ 莫大な相続税・所得税に学園の焼け跡からの復興は覚束なかった。
→高名な法律学者に直訴しに押しかけたりして奔走
→遂に昭和22年4月 駕籠町に女子栄養学園を復興。学園経営の苦しさは続く。
・ 「栄養と料理」を復刊(昭和21年1・2月合併号として)、驚異的発展を見た。
・ 医学の動向の変化
戦前:ドイツ式治療医学→アメリカ式予防医学
目標は病気のない社会をつくること

5−5 財団法人「香川栄養学園」の設立
・ 昭和23年 同郷の浜口吉兵衛氏(銚子醤油社長、第一生命役員)の依頼
→石井泰次郎氏との対談「新旧料理論」実現、
・ 対談の中で、栄養料理から学園復興の苦心談へと話が移る。
→浜口氏より矢野一郎氏(第一生命社長)を紹介され、「資本家に援助を求めよ。」との助言を受ける。
・ 財団法人「香川栄養学園」を設立、綾が理事長となった。

5−6 医学博士の学位取得
・ 児玉桂三先生の助言を受ける→これまでの研究を論文にまとめる。
→医学博士の学位を取得。

5−7 駒込校舎再建と女子栄養短大の創立
・ 昭和25年5月8日 第1回短大入学式。
後援会ができ、昭和29年には鉄筋図書館建設される。
・ 昭和26年より「栄養展」を開催、実演販売が好評。
・ 同年7月疎開先の大胡町応昌寺に医博香川昇三君遺徳碑を建立。
・ 日本料理教室開催依頼を受け、計量カップ・スプーンの普及をもくろみハワイへ出張。
・ 昭和30年 「子ども料理クラス」を開催、
→「計量+(伝える工夫・習う心)」が「わが家の味」を創出することを広報する。

5−8 女子栄養大学の創設
・ 昭和36年 4年制新制大学(教養学部2年+栄養学部2年)
家政学部食物栄養学科→家政学士200名
・ 昭和40年 栄養学部栄養学科 管理栄養士養成校  教養学部2年間全寮制
・ 栄養クリニック・大学院
・ 昭和49年 2専攻(栄養科学・実践栄養学)
・ 昭和55年 保健栄養学科(臨床検査技師・養護教諭)新設
・ 平成5年 文化栄養学科 新設

6.香川綾の三つ子の魂
 一度こうと決めたらテコでも動かない
 二、三歳ごろ・・・日帰り旅行(本宮〜川湯温泉)
  おんぶ→「おろして!」→言い出した所へ戻って歩き出す          
 五、六歳ごろ・・・紙布の着物→「着るのはイヤ」→お灸
 言葉数少なく歌が下手、動きも鈍い
  一人で留守番、寂しがらず、
     一人遊び・・・たらいの水の移し替え、毛糸玉作り
母の死(14才のとき)(大正3年2月19日)→医者になりたい!
→県庁の張り紙「東京大学看護婦募集」に家人に黙って応募、叱られる。

7.結語
 香川綾は信念の人、善意の人、思い立ったら遮二無二行動に移す人、自分の思いを実現
するために大勢の人を説得、協力者にしてしまう人。大勢の優秀な人の力を結集した結果が現在の香川栄養学園である。予防医学としての栄養学は、自然科学・社会科学・人文科学を包括するような広範な内容をもっているから、栄養学部だけでもUniversityであり得ると予見した。(女子栄養大学の英語名はKagawa Nutrition Universityである。)学問(科学的基礎)は大切、しかし実生活のなかで実践してこそ意味を持つのが栄養学である。皆が実践して、健康な生き方をして欲しいというのが、香川綾が生涯をかけて主張したことである。


参考文献
1. 香川綾著:「栄養学と私の半生記」(S60初版、H8.3 第7版)女子栄養大学出版部
2. 香川芳子:「人生あせることはない--栄養学の母香川綾九十八年の生涯」(1990)毎日新聞社
3. 香川綾著:”JAPANESE COOK BOOK日本の料理復刻版”(2004)香川昇三・綾記念展示室

◎ 手元にあった本(著者からの献呈/購入or親の遺産として入手)
4.武田暁著:「物理科学への招待」(1992 初版)
5. 細谷憲政著:「栄養学概論」--栄養学の新指標?-(S49 初版)第一出版K.K.
6.  〃   :「栄養生理学」朝倉生活科学シリーズ食物学3(S45 初版)朝倉書店
7. 林淳三著:「栄養生理生化学」(S35.4 初版、S55.10 第2刷)建帛社
8. 大村泰男著:「やさしい病態栄養」(1970)南山堂
9. 小池五郎著:「栄養をはかる」はかるシリーズ(1989 初版)日本規格協会
10. 宮城重二著:「女性はなぜ長生きか」長寿に学ぶ健康のコツ(1996 初版)講談社
11.  〃 :「日本一の長寿県沖縄に学ぶ健康長寿食」(1993 初版)女子栄養大学出版部
12. 松崎俊久編著:「沖縄発爽やか長寿の秘訣」(1993 初版)学苑社
13. 本田武司・上田成子共著:「食中毒 予防と対処のすべて」(H9初版)K.K.法研
14. 長坂昌一郎・宮本佳代子・松田康子共著:健康21シリーズ@「糖尿病の人の食事」(2001 初版)女子栄養大学出版部
15. 伊藤幸義・荒牧麻子共著:「血糖値の高い人のための糖尿病HOW TO エネルギーコントロール」(1991 初版 1995第8版)女子栄養大学出版部
16. 上田フサ著:「調理と教育」(2001)群羊社
17. 菅原龍幸著:「きのこと健康」林業改良普及双書No.138(2001)全国林業改良普及協会
18. 藤原勝子著:「私は「食」の演出家」フードコーディネータはビジネスで活躍する
(2002 初版)亜紀書房
17.小池五郎・福場博保共著:「栄養学実験」(S43 初版)医歯薬出版K.K.

◎ 今回、書店or通販で購入した本・DVD
18.山田真監修:「からだのふしぎ」21世紀幼稚園百科(1994 初版、2002第8刷)小学館
19.真柳仁著:「看護・医療系受験生の生物IB・U」(2000 初版、2002 重版)旺文社
20.大矢晴彦著:「膜とは何か?-いろいろな膜のはたらき」新コロナシリーズM(1991 初版)
21.上野景平著:「化学反応はなぜおこるか 授業ではわからなかった化学の基礎」(1993 初版、2003第18刷)講談社
22.E.シュレディンガー著、岡小天・鎮目泰夫訳:「生命とは何か?物理的にみた生細胞--」(1951 初版、1975第30刷、1977第32刷)

23.中野昭一編集:「生理・生化学・栄養 図説 からだの仕組みと働き 普及版」(1979 初版、2001 普及版第1版 第1刷、2003第3刷)
24.水野嘉夫監修:「徹底図解 体のしくみと検査数値がわかる本」(2004 初版)K.K.新星出版社
25.安藤幸夫監修:「全図解 からだのしくみ事典 不思議で面白い人間のからだはこうなっている」(1992 初版、2004第34刷)
26.大塚滋監修:「おいしく食べて健康になる 食べ物はすべてクスリ」セシビリティBOOKS (1992 初版、2002第15刷)同文書院
27.稲富恵子著:「これならわかる病院の検査のすべて」(2004 初版)同文書院
28.小池五郎監修:「栄養ミニ バイブル からだによく効く栄養素のすべて」(?)同文書院
29.清水幹夫著:「生命の本質と起源」未来の生物科学シリーズ37(1996 初版)共立出版K.K.
30.木原裕著:「生命現象の物理 バイオサイエンスは一つになった」(1992 初版)海文堂
31.ハワード・C.バーグ著、寺元英・佐藤俊輔訳:「生物学におけるランダムウォーク」(1989 初版)法政大学出版局
32.早稲田大学学生部新鐘編集委員会:「早稲田の聞け!食」シリーズ6 新鐘70号(2004)
33.NHK DVD :「NHKスペシャル驚異の小宇宙 人体」(K.K.ソニー・ファミリークラブ通販)
34. フジテレビ「あるある大事典」2004.9.19 放映
(内容:現在の医学機器による検診で黒大豆、特にその煮汁の摂取者達について、さらさら血とダイエット効果が確認された。煮汁に含まれるシアニジンという高分子が血小板を固める効果があり、小腸での油脂の吸収を減らし排泄を促すからであると説明)


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