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 講 演 要 旨


ニュートリノ ―このミステリアスなもの―
小林 K郎 (学術研究ネット理事長:都立大学名誉教授)


0.まえおき

 小柴昌俊先生がR.Davis(アメリカ)とR.Giacconi(イタリア)と共に2002年のノーベル物理学賞を受賞されたのは本当に嬉しいことでした。受賞理由は,「天体物理学,とくに宇宙ニュートリノ検出に対する先駆的貢献に対して」ですから,「ニュートリノ」という普段聞きなれない言葉も,テレビや新聞などで多少は皆さんの近くまで届いたかと想像しています。「宇宙にはおかしなものがあるものだ」と思われたかもしれません。実際,ニュートリノはおかしな粒子で,ミステリーに満ちているのです。小柴先生は光が16万年もかけて地球に到達する程遠い大マゼラン星雲の超新星爆発で放出されたニュートリノをどうやって捕らえたのでしょう。そこで開かれた宇宙の扉の奥に何が見えたのでしょう。そのあたりから「ニュートリノって何?」に入っていくことにします。数野先生のお話で大分わかった点,あるいは重複する点もあるかも知れません。御容赦下さい。私はこういう催しの話をした経験がありません。今日は半世紀に亘り,程よい近さにあって直接・間接測り知れぬ程の学恩を蒙った小柴先生への感謝の思いから馴れないことをお引受けした次第です。
 話の順序は以下のように進めます。  
 1.ニュートリノは「素粒子」である。  
 2.ニュートリノの生い立ち――誰がニュートリノを必要としたのだろう――  
 3.小柴先生のニュートリノ――カミオカンデ――  
 4.スーパー・カミオカンデ――次の大きな一歩――  
 5.ニュートリノの70年と残された難問

1.ニュートリノは「素粒子」である。

 物質は何から出来ているのか,どんな力がその間に働いているのだろう,という問いは洋の東西を問わず人間を捉えて来た大問題でした。現代の私たちは,日常的に感知するマクロの世界の物質が,分子さらに原子というミクロな存在の集りであることを知っています。さらに原子は陽子と中性子が強く結合した原子核の周りに電子が束縛されて安定な状態を作っていること,光は光子と呼ぶ粒子ということも分りました。その大きさの程度を図1,2で想像して下さい。電子,光子,陽子,中性子などは,物質の最も基本的な構成要素であるという意味で「素粒子」(elementary particle)と呼ばれて来ました。そんなミクロの世界の存在なんて私達の日常生活とは縁がないと思われがちですが,光子は光で,眼球に飛び込んだ光子が網膜の原子を刺激して物が見えるのです。テレビの映像は電子銃から放射された電子が蛍光板に当って結ばれた像なのです。
 1940年代になって湯川先生の予言されたパイπメソンを初めとして宇宙線や加速器実験で続々と新しい素粒子が発見され,勘定の仕方では百を以て数える程になりました。素粒子は「素」粒子なのだろうかという疑問が生れるのも無理からぬことでしょう。他方,電子とまったく同じ性質を持ちながら質量だけ電子の200倍もあるミューオン,今日の主役ニュートリノも歴とした素粒子,しかも特定銘柄の素粒子として登場しています。
 素粒子性の問題は1950年代後半から真剣に考えられ始め,1960年代半ばに,陽子,中性子,πメソンのように強い相互作用する粒子−ハドロン−は,もはや真の意味の「素」粒子ではなくて,より基本的な構成要素クォークから複合的に作られているという「クォーク模型」が確立しました。 図3 のように陽子や中性子などバリオン族はクォーク3体,πメソンなどのメソン族はクォークと反クォーク2体の複合粒子というわけです。
 クォーク6種類は1994年のトップクォークを最後にすべて実験で存在を確かめられました。面白いことに(u,d),(c,s),(t,b)のように対になった3世代にまとまっています。もっと不思議なのは,いま「実験で存在が確かめられた」と言いましたが,電子や陽子のように,これがuクォークだと単独の実体として取り出せないのです。陽子の中に確かにuクォーク2個とdクォーク1個がある,K0メソンの中に確かにsクォークと反dクォークがある,としか言えないのです。図4に示すように個々のクォークは素電荷の2/3eとか‐2/3eとか自然界には存在しない電荷を持っているからです。それでも「クォークは存在する」と言えるのか,「存在するとはどういう意味か」などという哲学的問題には立入らないことにしましょう。
 一方,電子やニュートリノはレプトンと総称され,図4 に示したようにクォーク3世代に対応して(νe e-),(νμ μ-),(ντ τ-) の3世代が現れます。e-,μ-,τ- はそれぞれ電子,ミューオン,タウで,肩の−は負電荷(−e)を持つことを示します。νe等は電子等に付随するニュートリノです。
 私たちの理解するところ現代では,物質の究極の存在様式はクォークとレプトンである,ということになります。それではどんな力がこれら究極の構成要素の間に働いて物質を作り,さまざまな現象を起すのでしょう。力をもつと一般化して互いに及ぼし合う相互作用という風に考えましょう。
 重力とか電磁気的な力は日常的にもおなじみですが,これらも含め,自然界には次の四つの相互作用−力−が働いていることが分りました。そしてミクロに見れば,クォークやレプトン間の相互作用になるわけですが,それはゲージボソンと呼ばれる粒子が相互作用の担い手となって力を伝えるのです。以下に挙げるのが四つの相互作用です。(図5)  
(1)重力:質量を持つすべての粒子間に働く。力の到達距離は無限大。普通のエネルギー状態では二つの素粒子間の重力は非常に小さいから問題にしない。まだ理論は作られていないが,力の担い手は重力子である。  
(2)電磁気力:電荷を持つ粒子間に働く。到達距離は無限大。光子が力の担い手になる。  
(3)弱い力:原子核の崩壊にあずかる力で,到達距離は10‐18mと非常に小さい。これは力の担い手のゲージボソンが大きな質量を持つためである。1983年にようやくこの粒子が実験的に発見された。  
(4)強い力:クォークが電荷と並んで持っているカラー(色荷とでも言おうか)間に働く。ゲージ粒子グルオンが力の担い手である。到達距離は非常に小さい。原子核内に陽子や中性子をギュー詰めにしているのはこの強い力である。  以上でクォークとレプトンに力の担い手ゲージボソンを加えたミクロの世界の舞台の役者は揃ったようです。図6 で改めて確認しておいて下さい。ではこの役者たちのためのシナリオはあるのでしょうか。
 標準模型
 重力を量子力学的に議論出来るまでに至っていないので,強・弱・電磁三相互作用を考えます。標準模型はこれら三つの相互作用をゲージ理論と呼ばれる理論で記述します。この場合,対称性の自発的破れという機構が本質的で,未発見のヒッグス粒子が存在しなくてはなりません。またニュートリノの質量は厳密に0です。この二点は,いわば標準模型のアキレス腱とも言えましょう。しかし,電磁と弱い相互作用を統一した「電弱相互作用」が確立され,驚くほど見事に実験事実を解明しています。強い相互作用も電子と光子の量子電磁力学に対応するカラー(色)の量子色力学が,クォークをハドロン内に閉じ込めた上で大きな成功を収めました。ニュートリノが質量を持つことが分った現在,標準模型の命運も測られていると言うべきでしょうか(図7)

2.ニュートリノの生い立ち――誰がニュートリノを必要としたのだろう

 E.Rutherfordが原子内の原子核の存在を実証したのは1911年ですが,すぐに原子核から放出される放射線の研究が続きます。古くは電子がβ線と呼ばれたこともあるので,原子核が他の原子核に変って電子を放出する過程をβ崩壊と呼びます。1914年J.Chadwickはビスマスのβ崩壊 210Bi → 210Po+e- で放出される電子のエネルギー分布が連続スペクトルになること(図8)を示しました。当時,電子は陽子と共に原子核の構成要素と考えられていましたから,β崩壊は原子核Aが別の原子核Bに変換して A → B + e- のように2体に壊れるのが自然です。この場合は電子のエネルギーはエネルギー保存則から一定にきまってしまいます。もし A → B + X + e- のように未知の粒子Xがβと共に放出されて3体に崩壊したとすれば,電子のエネルギーは連続的に分布します。しかし電子の他に何も原子核から放出されているのが検出されていないのです。エネルギー保存則が成り立っていないのではなかろうか。そんな馬鹿な・・・・。延々甲論乙駁の議論が続きます。あのN.Bohrが1930年有名なファラデー講演で「β崩壊相互作用では,エネルギー保存は統計的にしか成立しない」と語っています。C.D.EllisとW.A.Woosterは1927年にビスマスのβ崩壊を熱量計中で観測して,放出された全熱量を測定し,1崩壊当りの平均放出エネルギーを求め,電子の平均エネルギーと比較しました。これから彼等はβ崩壊は2体崩壊ではあり得ず,電子のエネルギー分布は連続スペクトルであることを確認しました。混迷の度は深まるばかりでした。
 1929年W.Pauliは,(図9)エネルギー保存則は原子核崩壊のような量子力学的レヴェルにおいても厳密に成り立っている,と主張します。ビスマスのβ崩壊の場合,電子と一所に電気を持たない粒子νが放出される:210Bi → 210Po + e- + ν すると3体崩壊ですから電子のエネルギーは連続スペクトルで,エネルギー保存則は厳密に成り立っています。このνがまさに「ニュートリノ」です。当時Pauliはニュートロンと呼びましたが,1932年1月発見された中性粒子が「ニュートロン」と名付けられ,β崩壊の中性粒子νはニュートリノと呼ばれることになりました。E.Fermiがイタリア語で中性の小さなものという意味をこめたようです。
 この段階ではPauliのニュートリノ説は勿論仮設,しかも実に大胆な仮説です。Pauli自身皮肉をこめ「絶望的思いつき」と言っています。個人的な手紙以外で初めてPauliがニュートリノ仮説を公表したのも,1930年12月T?bingenで開かれた原子核専門家達の研究集会に自らは欠席し,Lise Meitner嬢に託して読んでもらった手紙によります。 12月4日付で「親愛なる放射能淑女紳士各位」と人を食ったような書き出しから直ちに核心に入っています。「電子の連続スペクトルは,β崩壊の際,常に電子と一緒に“ニュートロン”(ニュートリノ)が放出され,“ニュートロン”と電子のエネルギーの和が一定であると仮定すれば理解出来るであろう」とエネルギー保存則に決着をつけます。“ニュートロン”の質量は電子のそれと同程度か,陽子の質量の1/100以下と推定しています。
 Pauliのニュートリノ導入はエネルギー保存則の問題だけでなく,NとLi原子核のスピンと統計の関係の困難解決の提案でもありました。「電気的中性粒子“ニュートロン”はスピン1/2を持ち排他原理に従う」とすれば困難はなくなるのです。排他原理はすでに1925年にPauliの発見したことで,1945年のノーベル賞を受けた業績です。
 さらに“ニュートロン”は電気は持たないが磁気能率は持ち得るとして,後にPauli項と呼ばれる相互作用項も提案しています。
 Pauliの欠席の理由がまた傑作です。「12月6日夜から7日チューリッヒで舞踏会があって,どうしてもそれに私の出席が求められているのです」と手紙の最後にあります。これはBaur au Lac ホテルで開かれたイタリアの学生達の舞踏会だった由。
 1931年アメリカ物理学会が西海岸のパサデナで開かれ,Pauliはここでニュートリノの考えを話していますが,印刷には付されていません。ニュートリノが原子核の構成要素かどうかはっきりしない所もありましたが,パサデナ講演では原子核の構成要素ではないと断言しています。
 1933年10月,第7回ソルヴェイ会議が「原子核の構造」を主題にして開かれ,Pauliはニュートリノにつき講演し活発な議論が展開されました。席上BohrははっきりPauliのニュートリノを支持します。J-B.Perrinはβ崩壊で放出される電子のエネルギー分布を運動学的に観測すれば,ニュートリノの質量は光子のように0と考えるのが自然だと注意しています。この会議に出席していたFermiはすでにニュートリノ仮説に基づくβ崩壊理論が完成途上でした。翌1934年,β崩壊の原型たる中性子が陽子に変換して電子と反ニュートリノを放出する n → p+e-+G をFermiはスピン1/2の粒子4個が直接相互作用する形で場の理論的に扱い,見事な理論を作り上げました。
 ニュートリノはもはや不可欠の素粒子の座を占めたようです。πメソンもミューオンも1940年末頃から続々発見される新粒子も,ゆっくり崩壊するときは必ずニュートリノが伴うと考えざるを得ません。しかし,実験的に正体を掴みにくいのです。(1)電荷を持たない,(2)質量が非常に小さいので,他の原子核に衝突しても反跳作用が小さい,(3)相互作用が非常に弱い,ので物質中をいくらでも透過する。光が走って1年かかるくらいの厚さの鉛の中を走る間に1回相互作用する程度。ミステリーに包まれたニュートリノとしか言いようがない日々が過ぎていきました。
 遂にニュートリノを捕まえた!
 1950年代初頭,誰も見たことがないものを見たいと知恵をしぼっていたC.L.CowanとF.Reinesは,沢山ニュートリノを集めて他の粒子と衝突させて出てくるものを効率よく検出する,ということに考えを集中させていました。Los Alamos研究所にいた二人に直ちに閃いたのは,「原爆実験」でした。核分裂の際の多量のニュートリノを使うのです。しかし原子炉を使う方が効率よいことが分りました。炉内のβ崩壊 n → p+e-+G で放出された反ニュートリノGによる反応 G + p → n + e+ を利用するのです。1954年CowanとReinesは標的陽子として二塩化カドミウムが溶けた水を用い,液体シンチレーション検出器で囲み,Savannah Riverの出力70万kw原子炉の炉心から11mの所に検出装置を置きました。反ニュートリノの個数は1013/cm2・sでした。反応で作られた陽電子e+は液体シンチレーション層で対消滅して光を出します。中性子nは標的内のカドミウムに捕獲されて光を出し,これがシンチレーション層でさらに光を出します。こちらは陽電子が対消滅して出す光より5.5μs遅れて出ることが分っています。100日間の観測で平均1時間3個得られた対の光信号は予期した通りでした。T.D.LeeとC.N.Yangの理論的予測と一致しています。反ニュートリノの観測に成功しました。ニュートリノの存在が実験で確かめられた!1956年のことです。直ちにPauliに知らせられました。PauliからCowanとReines宛の返事は “Thanks for message. Everything comes to him who knows to wait“ でした。Pauliは2年後1958年に亡くなります。この手紙をReinesが見るのは何と30年後,Pauliの最後の助手C.P.Enzの手を通してでした。Cowanもすでに世を去っていました。これもミステリー!
 ニュートリノは一種類ではない
 Pauliの予言から26年にしてニュートリノは名実共に素粒子として存在感を強くしていきます。β崩壊で電子と一緒に出てくるニュートリノとπメソンの崩壊で出てくるニュートリノは同じ粒子か,という疑問は当然でしょう。これらをそれぞれνe,νμ と書きます。すなわち,以下の崩壊過程 n→p+e-+Ge, p→n+e++νe π+→μ++νμ, π-→μ-+Gμ μ+→e++νe+Gμ, μ-→e-+Ge+νμ において νe=νμ,Ge=Gμ か否か,ということです。
 それには実験をしてみればいいでしょう。いま νe≠νμ だと仮定すると νμ + p → n + μ+ は可能な反応ですが νμ + p → n + e+ は禁止されて起こりません。L.M.Ledermanらはこのことを実験で確かめました。前者で29個のミューオンμ-が観測されたのに対して,後者では1個も陽電子e+は観測されませんでした。電子に伴うニュートリノνeとミューオンに伴うニュートリノνμ は別の粒子であることが実証されました。
 この実験はアメリカのBrookhaven国立研究所でなされましたが,検出器を置いたエリアにニュートリノ以外の粒子が入って来ないように高度の技術が開発されました。廃艦になった戦艦Missouriの鉄が厳重なシールドを可能にした由です。ニュートリノビームを実際に使う嚆矢となったこの実験は,後のCERNやSLACの先駆をなす画期的なものでもありました。Lederman,Schwartz,Steinbergerはこの実験で1988年のノ―ベル物理学賞を受賞しました。
 図4 で示したようにニュートリノは3種類ありました。ντ がありました。τ粒子タウオンの崩壊に伴なうニュートリノ第3号です。1975年M.L.Perlは電子陽電子衝突型加速器で,電子,ミューオンの仲間のτ粒子タウオンを発見しました。崩壊過程 τ- → μ- + Gμ + ντ ,  τ- → e- + Ge + ντ  などで放出されるのがντです。こうしてレプトン族(e,μ,τ)(νe,νμ,ντ)が完全にクォーク6個の組と対応することになります。1995年のノーベル物理学賞はReinesとPerlが分ち合いましたが,すでにCowanは故人でした。
 1930年のPauliの予言から半世紀してやっとニュートリノは素顔を少し見せてくれましたが,姿,形は依然ミステリーに満ちたままです。話を先へ進める前に,「ニュートリノはどこにいるのか」最初の講演にもありましたが,おさらいをしておきましょう。
  (1)超新星爆発
  (2)太陽内部
陽子・陽子サイクル:4p → 4He + 2e- + 2νe  CNOサイクル:C,N,Oを触媒とする13N,15O,17Fのβ崩壊によるνe 
  (3)大気中の核衝突で作られた素粒子の崩壊
π+ → μ++νμ, π- → μ-+Gμ, K+ → μ++νμ, K- → μ-+G μ- → e-+νe+νμ, τ- → μ-+Gμ+ντ    etc
  (4)加速器素粒子実験
    数野先生のお話
  (5)原子炉,核爆発実験



3.小柴先生のニュートリノ――カミオカンデ――

 1987年2月23日,日本標準時16時35分35秒(±1分)グリニッチ標準時7時35分35秒(±1分),地球から16万光年彼方の大マゼラン星雲内の超新星爆発で放出されたニュートリノが,カミオカンデに足跡を印して再び宇宙の彼方に消え去りました。放出ニュートリノ1013個/cm2という膨大な数の中で11個が僅か13秒の間にカミオカンデ測定器で捕まえられたのです!(図10,11)。因みにこの時私たちの体を通り抜けていったニュートリノの数は10兆個を下りません。世界をアッと驚かせる快挙でした。これが小柴先生のノーベル賞なのです。
 何が素晴らしいか。それには超新星のお話を少ししなくてはなりません。
 夜空に輝く星も寿命があって,長い進化の最後に星は死を迎えます。太陽質量の8倍以上の星は,進化の最終段階で自身の重さを支えることが出来なくなり重力崩壊を起こします。星は太陽の100億倍もの明るさで輝き,崩壊して宇宙空間に飛び散っていきます。これが超新星爆発です。 後に半径10km程度なのに太陽ぐらいの質量を持つ中性子星が残されます。スペクトル中には水素が存在し,重力崩壊で解放されるエネルギー約(3×1053エルグ)の99%をニュートリノと反ニュートリノが僅か10秒程の間に宇宙空間に持ち去ります。光で観測されるエネルギーはたかだか1%に過ぎません。これが超新星U型です。こうした理論家による超新星爆発の予言を,小柴先生の実験はニュートリノを捕まえて見事に実証してみせました。
 どうやってニュートリノを「見た」のでしょう。カミオカンデの実験装置の主要部分は2140トンの水チュレンコフ型検出器で,948本の20インチ光電子増倍管が取り付けられています。
 電子ニュートリノνeが入射すると,水中の電子と弾性散乱 νe + e- → νe + e-  を起こし,反跳電子が水中を走りチュレンコフ光を出します。(図12)この光を検出することにより,電子のエネルギーと方向,入射νeの方向も分ります。
 エネルギー10MeV程度の反電子ニュートリノGeが入射すると,水中の水素原子核陽子と Ge + p → e+ + n を起こします。陽電子はほゞ等方的に放出され,チュレンコフ光の観測からそのエネルギーと方向は分りますが,非弾性衝突なのでGeの入射方向は分りません。反応が起きる頻度は,理論上は後者は前者の300倍くらい大きいと見積もられます。
 event#1,#2はνe反応らしい。これは星の重力崩壊理論の予言通り最初にやって来ています。等方分布の9 eventsからGeの数を見積もると約8×1052エルグとなり,重力崩壊の予言する値に近い。さらに発生場所は,誤差は大きいが半径27kmとなり,冷えつつある残骸中性子星の半径にぴったりです。
 超新星爆発のニュートリノを「見た」ということは,光によっては見ることの出来ない南半球の空で起った大マゼラン星雲中の壮大なドラマを見ることが出来たことを意味します。天文学は光による望遠鏡から生れ,やがて電波による電波天文学が宇宙の扉を大きく開きました。カミオカンデの成功は「ニュートリノ天文学」の誕生に他なりません。ニュートリノが超新星爆発の一番奥までも見せてくれました。宇宙にはいつ何が起きるか予測もつきません。カミオカンデの故事に倣っていつ何が起っても大丈夫という準備態勢が必要とされましょう。

4.スーパーカミオカンデ――次の大きな一歩――

 宇宙から地上に戻って,改めて「素粒子ニュートリノ」を考えましょう。物質の最も基本的構成要素クォーク・レプトンの中でもニュートリノは特別の位置を占めているようです。相互作用が他と比較して極端に弱い上に,標準模型では質量を正確に0,スピンは左巻きとされています。他の粒子はヒッグス粒子によって質量を獲得しています。標準理論の成功はニュートリノの質量を0とおいて何ら理論的困難がないだけのことで,本当に0かどうかは実験が決めてくれることです。
 こうして神岡茂住鉱山「池の山」山頂下1,000mの地点に径39.3m,高さ41.4mの水槽に50,000トンの純水を満たし,光電子増倍管11,146本を備えたスーパーカミオカンデが実現して実験が始まりました。(図13)
  (1)大気ニュートリノ
 大気上層に入射した1次宇宙線は,大気中の原子核と衝突してπメソンやKメソン(πの1/10程度)を作ります。(図14)π+(π-)→μ+(μ-)+νμ(Gμ),μ+(μ-)→e+(e-)+νe(Ge)+νμ(Gμ),の崩壊で大気中にニュートリノが生成されます。数を数えれば分るようにνμ が2個νe が1個ですから反ニュートリノと一所にして1GeV以下の低エネルギーでは R≡(νμ+Gμ)/(νe+Ge)? 2 のはずです。スーパーカミオカンデ535日の観測で得られた4654例は次の結果になりました。            0.63±0.03(統計誤差)±0.05(系統誤差):低エネルギー R実験/R理論=            0.65±0.05(統計誤差)±0.08(系統誤差):高エネルギー
 この食い違いは,ニュートリノが質量を持つ場合だけに起こるニュートリノ振動のために,νμ が長い距離を走る間にντ に変ってしまい,その数が減ったためとしか考えられません。つまりニュートリノは質量が0ではないのです。
 またニュートリノは地球くらい平気で突き抜けて来るから,大気の上から来るνμ と地球を突き抜けて下から来るνμ の数は殆ど違わないと考えられます。
 しかしνμ →ντ 振動があれば話は別で,上から来るνμ と地球の裏側から来るνμ は走行距離の違いから,天頂角分布に上下の非対称が現われます。スーパーカミオカンデの観測値は                      +0.06(統計誤差) (上向きνμ )/(下向きνμ )= 0.54            ±0.01(系統誤差)                      ‐0.05(統計誤差) を得ました。偶然この小さい値が得られる確率は2×10‐8以下ですから,ニュートリノ振動ありに軍配が上がります。(図15)
 さらに,測定器の下の岩盤で生成されて,測定器に入る上向きνμ があります。534日の観測から得られた617例の実験値もνμ →ντ 振動を考えると自然に理解出来ます。(図16,17)
 これらスーパーカミオカンデの実験値を総合すると2種のニュートリノの質量の2乗の差は (△m)2 ? 10‐3−10‐2 eV2 であり,ニュートリノ振動が実際起こっていることは疑いようがないと思われます。
 (2)太陽ニュートリノ
 太陽ニュートリノは νe+e- → νe+e- によって放出された電子が水中を走って放出するチュレンコフ光を光電子増倍管で捉えます。太陽内で生成されるニュートリノについては標準太陽模型は非常に信頼出来る情報を与えてくれます。実験で観測されたニュートリノの数を標準太陽模型の予測と比較することにしています。スーパーカミオカンデのニュートリノ数は,標準太陽模型の予言に対して                 +1.6 45.1±0.5(統計誤差)   (系統誤差)%                 ‐1.4 で,明かに太陽で作られたνe は大きく欠損しています。太陽から神岡へ来るまでの間にニュートリノ振動で他のニュートリノに変身したのだと考えざるを得ません。この場合には太陽を通過する間の物質効果によるニュートリノ振動もあり得るのでしょう。太陽ニュートリノに関しては最近実験を開始したカナダのSNO(Sudbury Neutrino Observatory)も,こちらは水の代りに重水でスーパーカミオカンデと競争しています。
 小柴先生とノーベル賞を分ち合ったDavisは1970年からアメリカのHomestake金鉱地下で,615トンの四塩化炭素(CC?4)を満たしたタンクを用い νe + 37 C? → e- + 37Ar によるアルゴン原子を化学的に抽出する方法で太陽ニュートリノを検出していました。2001年の値で,アルゴンの観測数は理論の予言値の34±3%。明かに太陽ニュートリノは生成から地球に届くまでの間に減っているとしか考えられません。

5.ニュートリノの70年と残された難問

 ニュートリノが神秘的としか言いようのない粒子だとつくづく思うのは,Pauliの予言以来70年余常に物理学の考え方を一変させる主役となって来ました。駆け足でその跡を辿ってみましょう。
(1)PauliみずからDieses narrische Kind meiner Lebenskrise(1930-1)と呼んで,論文にするつもりはないと言っていたニュートリノが,どれ程肯定的評価を受けたか疑問です。何しろ実験的に検証されたのは26年後のことです。1934年Fermiはニュートリノを電荷を持たないスピン1/2の粒子として取り入れ,光と電子の相互作用を扱う相対論的場の理論に巧妙になぞらえて,β崩壊の理論を作り上げました。このFermi理論は,原子核のβ崩壊を見事に説明できただけでなく,後に発見される素粒子の崩壊過程も統一的に理解することを可能にする普遍的弱相互作用の理論に結実するわけです。ニュートリノ存在の意味とその働きをこれほど核心に迫って見通していたFermiの眼力にも驚くばかりです。
(2)1956年T.D.LeeとC.N.Yangはβ崩壊のような弱い相互作用ではパリティは保存しない,というそれまでの常識を覆す理論を提唱し,それを確める実験を提案しました。直ちに行われたβ崩壊n→p+e-+G,πメソン崩壊π+→μ++ν,ミューオン崩壊μ+→e++2ν の実験はパリティ保存則の破れを見事に示しました。このパリティ非保存の主役を演じているのがニュートリノなのです。
 パリティとは何でしょう。英語の辞書を引くと[理]偶奇性などと出ています。何のことか分りませんが,数字に偶数と奇数があるのと似た性質らしいという想像がつきます。素粒子を記述するには波動関数というものを使います。この中に空間座標x,y,zなどが入っています。その座標の一つ(あるいは三つ全部)の符号を逆に変えたとき,波動関数が変化しなければパリティプラス+(偶)とします。波動関数が符号を変えたらパリティマイナス−(奇)です。たとえばパリティ+の粒子が崩壊してパリティ+の粒子2個またはパリティ−の粒子2個になったとすると,終状態は (+)×(+)=+ あるいは(−)×(−)=+ ですからパリティは保存しています。日常の世界はもちろん,素粒子のようなミクロの世界も含めパリティは保存するものだと誰もが信じて疑いませんでした。乱暴なたとえで言うと,パリティが保存しないということは,鏡に映っている鏡像が鏡の前にある物それ自身と異なる運動法則に従うことを意味します。(鏡像対称)そんなことが容易に信じられますか。鏡の前で顔を左右に動かしてみてごらんなさい。鏡に映った顔もまったく同じに動くでしょう。LeeとYangのパリティ非保存ということは,弱い相互作用の基本法則においては鏡像対称が成り立たない,つまり弱い相互作用は右利きか左利きどちらかにきまっていることを意味します。
 C.S.Wu女史らは60Coを絶対0度近くまで冷やしてスピンの向きを磁石のN極の方向に揃えてβ崩壊させ,出てくる電子の角分布を測定しました。もしパリティが保存すれば,電子はN極方向とS極方向に同数放出されます。結果はS方向の電子の数の方が多かったのです。パリティ保存則は破れていました。β崩壊相互作用に「利き手」が現れた! ニュートリノは質量が厳密に0,スピン1/2で左巻き(反ニュートリノは右巻き)の2成分理論で表されるならばパリティ保存は破れるというのがLeeとYangの結論でした。ニュートリノと反ニュートリノは別の粒子として区別されるのです。
ニュートリノ(左巻き)     反ニュートリノ(右巻き) ある種の粒子が「片手利き」で,それが弱い相互作用だけに現れるというのは驚きです。ついこの間1956年に存在が確かめられたばかりのニュートリノは,それまで疑いもしなかったパリティ保存則の破れという大舞台の主役に座っていました。
(3)加速器実験でニュートリノビームを使う実験が可能になると,まずνeとνμの存在が確定されたことは前にお話しました。1973年のνμ,Gμビームの泡箱実験による中性カレントの発見は素粒子物理の新しいページを開いた大ニュースでした。図5で崩壊の弱い力はゲージボソンW,Zが担っています。Wは正または負電荷を持ちますがZは電気的に中性です。(A)で表されるβ崩壊n→p+e-+G  でW+が力の源ということは,              (A)              (B) 正電荷の流れ(荷電カレント)があるということです。これに対して(B)のGμとe-の弾性散乱 Gμe- →Gμe- の力の源は電荷を持たない流れ(中性カレント)を担うZ0です。ゲージ理論はこういう考え方で電磁相互作用と弱い相互作用を統一した電弱統一理論を作り上げました。その試金石こそ中性カレントの存在でした。それが見事に確証されたのです。1983年陽子・反陽子衝突実験でW±とZ0が作られ,その質量は理論の予言通りでした。標準理論成功の幕開けです。
(4)スーパ−カミオカンデの大気ニュートリノ異常のデータは,反論の余地なくニュートリノの質量が0でないことを示しました。νμとντというニュートリノの名前が振動するように入れ替わることから「ニュートリノ振動」と呼ばれます。この考えは1957年頃Pontecorvoがニュートリノ反ニュートリノ振動を提唱したのが最初です。1962年Maki-Nakagawa-Sakataはレプトン-ハドロン(今風に言えばクォーク)対称性の視点から,νeと別の名前のニュートリノが存在することを,異なる名前の間の振動として予言しました。その年νμが実験で見つかったことはお話した通りです。 ニュートリノはνμとかνe のように固有の名前は持つが固有の質量(振動数)は持たないで,異なる固有の質量を持つニュートリノの量子力学的重ね合せ状態であると考えます。二つの固有質量が異なると,νμ は時間が経つとνeに替り,また元のνμに戻ったりと名前が何回も入れ替ります。すなわち「ニュートリノ振動」です。非常に小さな質量差を観測する有効な手段です。図16でごらんのように,質量の小さいニュートリノの波は質量の大きい方の波より早く進みますから,νμの走行中に二つの波の重ね合せの割合が違ってνμとντの名前の入れ替が振動的に起ることになります。  スーパーカミオカンデの大気ニュートリノ実験は見事にニュートリノ振動の存在を確証してくれましたが,各ニュートリノ間の質量差や異なる質量のニュートリノがどんな割合で重ね合わされているかを実験から決めていかねばなりません。 KEKの加速器で作ったνμを神岡で観測するK2K実験はすでに始まっています。米国や欧州でも同種計画が進行しています。これら加速器によるニュートリノ研究の詳細は数野先生のお話をお聞きの通りです。  日本のもう一つ注目すべき計画はKamLANDという多目的のニュートリノ実験です。神岡から平均175kmに点在する原子力発電所からの低エネルギーニュートリノを,神岡の1,000トン液体シンチレーターを用いた検出器KamLAND(Kamioka Liquid Scintillator Anti-Neutrino Detector)で捕えようというものです。太陽ニュートリノの新しい情報が期待されます。諸外国のことは割愛しましたので関心ある方は参考文献をごらん下さい。
残った難問
 本当はこれからが本番というわけでしょうが,折角少し神秘のヴェールの奥から素顔を見せかけてくれたニュートリノにまた隠れてしまわれたら大変ですから問題を列挙するだけに留めましょう。

(1)質量0の場合,ニュートリノは左巻き,反ニュートリノは右巻きでした。右巻きニュートリノは存在するか。
(2)ニュートリノは何種類存在するか。軽いとすれば3種類でクォーク3世代(6種類)とうまく対応し,LEP実験も3種類を支持しています。本当に(νe,νμ,ντ)に限られるのか。
(3)ニュートリノはMajorana型かDirac型か。
ニュートリノに質量があると粒子に上の2種類の型があります。Majorana型だと粒子と反粒子は同じで区別がなく,スピン自由度は2。Dirac型だと粒子と反粒子は別粒子で,スピン自由度は4です。
 2重β崩壊というβ崩壊が同時に二つ重なって起きる原子核の崩壊反応で,Majorana型ニュートリノが放出されていなければ起きない現象−ニュートリノと反ニュートリノが消滅して終状態には現れない−を阪大グループが神岡の地下実験室で探しています。
(4)ニュートリノの質量
 大気ニュートリノや太陽ニュートリノの振動で観測できるのは質量の2乗の差で,質量の絶対値ではありません。前者は10-3〜10-2eV2,後者では10-5〜10-7eV2,10-10eV2程度。
 νeはβ崩壊から3eV以下,Majorana型とすれば(1〜2)eVとニュートリノの質量は他の素粒子に比して非常に小さい。なぜか。
 Yanagidaは「シーソー機構」という面白い考えを提唱しました。シーソーは重い人が乗った方が下がり,軽い方が上がります。これをイメージさせる魅力的な模型です。ニュートリノはMajorana型と,これと別の弱い相互作用しない質量が非常に大きなMajorana型ニュートリノを考えます。ヒッグス粒子を介してこの重いニュートリノと通常のニュートリノが混じると,ニュートリノの質量はm2/Mとなります。但し,mは通常のクォークやレプトン程度の質量です。従ってMが109GeV以上で非常に大きければニュートリノ質量は非常に小さくなって,シーソーの上の端というわけです。裏から見れば,非常に小さいニュートリノの質量は,背後に非常に重いMajoranaニュートリノに象徴される超高エネルギー物理の世界が存在することを暗示しています。
(5)暗黒物質(ダークマタ−)はニュートリノか。
宇宙には光やX線や電波で見える「明るい物質」全部の質量の総和よりずっと大きな光を発しない暗黒な物質で満たされています。これが暗黒物質(ダークマタ−)です。ニュートリノは,ビッグバンから100分の1秒ぐらいの高温の時代には他の粒子と熱平衡状態にありました。これから現在のニュートリノの数密度を推定し,3種類のニュートリノが高々30eV以下の質量を持つと考えると暗黒物質は理解出来そうです。しかし,これでは銀河のような宇宙の構造が出来ないという本質的な困難にぶつかります。そこでGeV程度の質量を持つ重いニュートリノと混ぜると観測と合うようです。しかしこれは宇宙論のさまざまな問題とつき合わせて論じなくてはなりますまい。
おわりに
 「ニュートリノって何?」と題して,その素顔に迫ってみるなどと予告しましたが,こんなに難問が残っていて,まだ分っていないということが分っただけだと,と思われたでしょうか。小柴先生のノーベル賞の新聞やテレビをごらんになったことで,なるほどこれだったのかと思い出して頂ければこんなに嬉しいことはありません。
 ニュートリノに代表されるような基礎科学の研究は,すぐ世の中に役立つものではありません。しかし,日本の国の品格を高めるものだと思います。どうか基礎科学に関心と興味をお持ち下さって,激しい国際競争に鎬を削って頑張っている研究者,とくに若い人たちを御支援下さるようお願い申し上げる次第であります。


参 考 文 献

1.Abraham Pais,Inward bound of matter and forces in the physical world,Oxford University Press 1986
  すぐれた素粒子理論家としてまた歴史家としても一家をなす著者の労作で素粒子研究の足跡を辿るのに恰好の書です。
2.超新星ニュートリノについて
  野本陽代,『ドキュメント 超新星爆発−400年月の大事件』,岩波書店 1988
  日本物理学会編,『現代の宇宙像−宇宙の誕生から超新星爆発まで』,培風館 1991
  佐藤勝彦,日本物理学会誌42(1987)500
  鈴木英之,日本物理学会誌43(1988)106
3.スーパーカミオカンデの実験データについて
  梶田隆章,日本物理学会誌52(1997)840
  ニュートリノ振動をめぐる問題について
  梶田隆章,中村健蔵,荒船次郎,川崎雅裕他,科学69(1999)小特集「ニュートリノの質量はなにを語るか」
  Edward Kearns,Takaaki Kajita and Yoji Totsuka,Scientific American 1999 August
  中村健蔵,日本物理学会誌56(2001)826
4.ニュートリノ振動を理論的に初めて指摘したのは
  Z.Maki,M.Nakagawa and S.Sakata,Prog.Theor.Phys.28(1962)870
  提唱者の一人は20年後改めて注意を喚起しています。
  中川昌美,科学51(1981)142
5.KamLAND実験について
  鈴木厚人,日本物理学会誌55(2000)594
6.太陽ニュートリノについて
  中畑雅行,鈴木洋一郎,日本物理学会誌57(2002)171
7.少し古いけれどもニュートリノの諸側面をそれぞれのエキスパートが書いている。
  日本物理学会編,『ニュートリノと重力波−実験室と宇宙を結ぶ新しいメディア』,培風館,1997
8.Last but not the least,忘れてならない本です。
  大学院学生時代から小柴先生と苦楽を共にして精力的に研究を進めてこられた著者の名著。本質的な点が誰にも分るように明快に書かれています。
  戸塚洋二,『地底から宇宙をさぐる』,岩波科学ライブラリー23,岩波書店 1995.
  なお図1,4,5,6,9 は国府田隆夫氏(東大名誉教授)が学習院大学の講義で使われたものをお借りしました。記してお礼を申し上げます。


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