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 講 演 要 旨


認知症を予防するために:―もし発症したらどのように対応するか―
宇野正威 国立精神・神経センター武藏病院 元副院長、東北福祉大学客員教授



1.認知症とは
 脳の病気のため、知的機能全体が低下し、それまでの生活が困難になった状態を認知症という。脳の病気はさまざまであるが、アルツハイマー病が最も多く、血管性認知症がそれに続く。その他、パーキンソン症状を伴うレビー小体型認知症と行動異常の目立つ前頭型認知症などがある。それぞれの脳疾患によって症状に違いはあるが、記憶、言語、行為、理解、判断、思考などの知的機能が顕著に低下し、一人で日常生活を送ることが困難となり、最後には全面的に介助を必要とするようになる。ここでは、アルツハイマー病と血管性認知症を取り上げる。認知症の初期症状は、病気によって異なる。アルツハイマー病ではもの忘れ(記憶機能の低下)が特徴的である。血管性認知症の場合は、脳梗塞の生じた部位によって症状は変わるが、意欲減退が著しく、しばしばうつ病と間違えられる。

(1) もの忘れとアルツハイマー病
 もの忘れには二つの型がある。第一は、誰にでもある、いわゆる‘ど忘れ’である。誰でも知っている有名な政治家や俳優などの名前を思い出せない。その人の顔つきやどのような仕事をしている人かを思い出すことはできるのに、名前だけが出てこないという体験である。同じ名前を別の機会には思い出せるし、その時も言われてみればそうだったと分かる。これはその人の名の記憶を脳に保持しているのに、それを取り出すことができないからである。このようなど忘れは、よほど著しくない限り、その後認知症の発症には結びつかないので‘良性もの忘れ’とも呼ばれる。 第二の型は、「最近のことをすぐに忘れる」というもの忘れである。より正確にいうと、忘れるというよりは、新しいことを覚えにくくなった状態である。家族と交わした大事な話を少し経つとすっかり忘れている。病気が進むと、話を聞いたという経験も失われる。本人が忘れっぽくなったことを気にし、同じことを繰り返し尋ねることで発症に気付かれることもある。このタイプのもの忘れはアルツハイマー病に繋がるため、悪性健忘とも呼ばれる。 人の記憶系は、入力された情報を一時短期記憶に保管する。その核心部分は長期記憶に移行し、その後も思い出すことができるが、詳細な部分はすぐに忘れるものである。情報を正確に、かつ充分に記憶するには、繰り返し入力する必要がある。そのようにして取り込まれた情報は長期記憶(この場合は知識)として、長期間保持される。情報を短期記憶から長期記憶へ‘固定’する過程は、側頭葉の内側にある海馬領域(海馬と海馬傍回)が担う(図1)。固定の過程が障害されると新しい情報を長期記憶に取り込めなくなる。アルツハイマー病では、病理学的変化、とくにニューロンの脱落が海馬領域から始まる。そのために、初期から新しいことを記憶することが困難になる。一方、誰もが経験するど忘れは、情報の入力の障害ではなく、長期記憶に保持されている記憶を呼び出すことの障害、すなわち想起の障害である。これは前頭葉の機能が少し低下したときに起こりやすい。

【症例 83歳、女性】
73歳頃からもの忘れが始まった。夫の話しをすぐに忘れ、繰り返し同じことを質問する。日時についても覚えられず、「今日は何日?」と何度も質問する。その度に教えても全く覚えない。77歳頃から外出すると迷うようになった。何時間もかけてやっと帰宅したことが何度かある。とくに交通機関を使用して外出すると、行き先を忘れたり、乗り換えの電車を誤り、パニック状態になったことがある。そのうち、近隣でも迷うようになった。そのため、買い物は夫が付き添い、食材の購入は夫が行うようになった。80歳頃から、炊事、洗濯、掃除をしなくなった。炊事の際、夫が手伝い、一つ一つ指示すれば、野菜の皮をむくなどの手つきはよい。しかし、簡単な料理でも、その手順が全く分からなくなった。82歳頃から、夫も、娘も分からなくなり、夕方になると‘帰る’と言って、家を出ようとするようになった。
もの忘れが始まってから数年は記憶障害が主症状で、この時期は初期あるいは健忘期と呼ばれる。漸次、複雑なことについての理解力が低下し、周囲で起きていることを充分に理解できず、しばしば判断を誤るようになる。この中期は混乱期とも呼ばれる。日常生活の上では、炊事など道具を使用し、手順をふむ複雑な作業は行いにくくなる。この時期は、知的低下だけでなく、感情のコントロールが上手くできなくなるため、少しのことで不安になり、パニック状態に陥りやすい。また、自分でしまい忘れたにもかかわらず、大事なものが見つからないと、他人(主に介護者)が盗ったのではないかと邪推し、攻撃的になることもある。この時期はやはり数年続き、だんだんと着脱衣、入浴、摂食、排泄などの日常の基礎的な行為にも介助を要するようになる。この段階以降を末期という。

(2) うつ病と血管性認知症
 脳梗塞の後でリハビリテーションを熱心に行い、日常生活上自立している人は多くいる。しかし、脳梗塞を繰り返しながら認知症の進行する人も少なくない。その場合は、脳梗塞による麻痺などの神経症状に加えて、初期には意欲の低下が著しく、しばしばうつ病を思わせる。
 うつ症状には、「憂うつ」「寂しい」などの抑うつ感情と、「何もしたくない」という意欲の減退がある。そのようなうつ症状は、ある生活状況下では誰にでも起き得る。例えば親しかった人との別れ(死別)の後では誰もが沈み込む。これは悲哀反応とも呼ばれ、うつ病とは区別される。また、心身共に疲れ果てると誰でもうつ気分に襲われる。一方、病的なうつ症状は、高齢者では身体の病気が関係していることが多い。心循環系疾患、呼吸器系疾患、内分泌系疾患などでうつ症状は見られるが、とくに脳卒中後とパーキンソン病など脳の病気はうつ症状を伴いやすい。脳卒中後には約4分の1の人が重いうつ症状を来すという。
そのような脳卒中後のうつ状態から漸次血管性認知症に至った症例を下記に記す。

【症例:64歳、男性】
40歳代後半から高血圧,50歳から糖尿病を指摘されていたが、充分にコントロールされていなかった。56歳時、脳梗塞を起こし,右片麻痺を遺した。比較的軽度であったが、理学療法室におけるリハビリテーションに熱心でなく、病室ではすぐに横になろうとした。意欲のなさが目立った。記憶力の低下は目立たなかったが、周囲のことに関心が少なく、そのため脳卒中後のことを余り覚えていない。その後,脳梗塞を二度繰り返し、左側にも麻痺が及んだ。意欲の減退はますます強まり、呆然とした毎日を過ごすようになった。終日寝たり、起きたりの生活で、外出しようとしない。家族とも会話せず,会話してもその内容は乏しい。理解力の低下が目立ち、また何も考えようとしない、考え無精とでもいえるような状態が続いている。

大きな脳梗塞をおこし、その直後から認知症の目立つ症例もある。しかし、多くは比較的軽い脳卒中を繰り返すうちに、意欲が極端に落ち、物事を考えようとせず、一日呆然と過ごすようになる例が多い。そのような症例の頭部CT画像あるいはMR画像では、前頭葉に虚血性変化を示す所見を見ることが多い。

2.認知症の予防
 認知症の多くは高齢期になって発症するが、その原因である脳病変の出現は発症の10〜20年前から始まっている。認知症の予防とは、その脳病変の進行を少しでも抑えることと、病変が進んでも脳の健康な部分をより活発に働かせ、認知症の発症を抑えることにある。そのために、身体面と知的面の両方について、どのような生活習慣をもつのがよいかが本日のテーマである。
 アルツハイマー病の原因の一つであるβアミロイドと呼ばれるタンパク質は50歳代から少しずつ脳に蓄積してゆき、それがある段階に達すると神経細胞が少しずつ脱落し、それがあるレベルを超えると精神神経症状が出現する。生活習慣がアルツハイマー病の発症にどのように関係するかについては主に疫学的研究から示唆されている。同じ遺伝的背景をもつアフリカ系アメリカ人とアフリカに在住するアフリカ人を対象とした疫学的研究から、アメリカ的生活習慣のなかで生活すると認知症全体でもアルツハイマー病に関しても約2倍の発症率であることが報告された。最近、日本の久山町研究で、糖尿病を有しているとアルツハイマー病の発症率が4倍以上になるという報告がされている。
血管性認知症は脳動脈硬化が主な原因であるので、中年期以降の生活習慣と、生活習慣病がその遠因である。とくに、高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病が動脈硬化を促進する。したがって、血管性認知症の予防は当然のことながら生活習慣の改善と生活習慣病のコントロールである。
 生活習慣を、食生活、身体活動、知的活動にわけ最近の研究をまとめる。図3は、生活習慣が認知症発症のリスクにどうか関わるかの概念を示す。

(1) 食生活習慣
まず、体重を管理することである。そのための食事に気を配り、適正エネルギー量を守ることが必要である。
標準体重(kg)=身長(m)x身長(m)x22
BMI: Body Mass Index=体重/身長2 (>18,<25)
適正エネルギー量(kCal)=標準体重x指数(普通の労働:指数;30~35)
 第二は、多価不飽和脂肪酸のうち、魚油に多く含まれるエイコサペンタエン酸(EPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)などのn−3系を多く摂ることである。獣肉や植物油に多く含まれるアラキドン酸やリノール酸などはn−6系と呼ばれているが、魚油の割合が高い方が生活習慣病のリスクが低くなる。ロッテルダムの大規模な疫学的調査でも魚の摂取量とアルツハイマー病の発症率は逆相関した。但し、食生活では極端な偏りは良くない。魚と肉をバランス良く、魚を多めにと捉える方がよい。
 第三は、抗酸化物を含む食品を積極的に摂ることである。活性酸素は、炭水化物や脂肪を燃やしてエネルギーをつくり出すために必要なものであるが、余分な活性酸素が身体に貯まると細胞を痛める。抗酸化物は余分な活性酸素を除去するものである。
  ビタミンE:アーモンド、ヒマワリ油
  ビタミンC:野菜類(緑黄色野菜)、果物類
  ポリフェノール:
緑茶(タンニン)、赤ワイン(ミリセチン)、大豆(イソフラボン)、
カレースパイス(クルクミン)

(2)身体活動習慣
 生活習慣病の予防には、週3回は汗ばむくらいの運動を継続する事が勧められている。「カナダにおける健康と加齢に関する前向き調査」では、週3回以上の頻度で、歩行より強い運動を行う高運動量群と、歩行程度の運動を週3回以上行う中運動量群、およびそれ以下の低運動量群に分けて、認知症発症との関係を比較している。そして、アルツハイマー病、および全認知症発症率のいずれにおいても高運動量群で有意にリスクが低かった。すなわち、定期的な運動がアルツハイマー病の発症を抑制すると報告している。ただし、これには異論もあり、単なる歩行では余り意味はないとの報告もある。ダンスなど知的活動の意味ももつ運動が良いようである。

(3) 知的活動習慣
 認知症予防の観点から、知的活動を日常の生活の中に位置づけることが好ましい。多くの認知症患者を診察しながら、どのような知的活動が認知症予防に、また発症してからもその進行を抑制するかを検討してきた。
それらをまとめると、
a. 知的なゲームなどに興ずること:碁、将棋、チェス、トランプ、パズルなどが含まれる。
b. 創造的な作業を行うこと:道具を使いなが行う作業がよく、料理、園芸、絵画、陶芸などが含まれる。
c. 豊かな言語コミュニケーションを持つこと:社会参加を心がける。

 知的活動が認知症予防に役立つことを、アメリカの研究者が高齢者469人の5年間の追跡調査から示している。彼らは趣味活動のうち知的なもの(「チェスなどのボードゲームやトランプ」「楽器演奏」「クロスワードパズル」など6項目)と身体的なもの(「ダンス」「家事」「散歩」など11項目)に分けて、検討している。「ボードゲームやトランプ」を多くする人(週に数回以上)は、少ない人(週に1回以下)の人に較べ認知症発症リスクが1/4に低下、楽器演奏では多くする人は少ない人の1/3,身体活動ではダンスをしばしば行う人はそうでない人の1/4であった。

(4) 脳活性化リハビリテーション(心理社会的治療)
 薬物による認知症の予防や進行を抑制する有効な方法がまだ開発されていないため、いろいろな非薬物的介入あるいは脳活性化リハビリテーションが試みられている。過去の出来事を回想しながら、その人の感情面をサポートする回想法、音読ドリルと計算ドリルを用いた学習療法、音楽療法、美術療法などが知られている。音楽療法は、@社会的・情緒的スキルを高める:周囲の人達との感情的交わりが多くなり、介護者との触れ合いが深まる、A認知的スキルを高める:なじみの曲と歌詞が記憶を喚起すると共に、その記憶の保持を強化する、という。美術療法に参加すると、患者は作品を通じて他の人とのコミュニケーションを回復し、孤立感を癒し、自信を持つことができるという。
ここでは私の関与している美術療法について触れることにする。この美術療法は、@美術を通じて感性を刺激する、A芸術表現(作品)を通じて「気持ち」を表す、B制作場面での言葉によるコミュニケーションを回復する、C社会性を回復する、ということを目標としている。そのために、制作活動に入る前に、その日のテーマに関する話をし、音楽を楽しみながら、描こう、作ろうという気分を盛り上げる。そして、これまで美術活動に縁の遠かった人でも参加できるようなカリキュラムのもとで、絵画、工作、彫刻、染色、陶芸などが行われている。

おわりに
 認知症の予防には、まず生活習慣病を予防する生活習慣、すなわちよりよい食生活習慣と身体活動習慣が基本である。もし、高血圧、糖尿病、高脂血症を発症したら、医学的に充分コントロールする必要がある。その上で、日常生活に何らかの知的活動あるいは趣味を組み入れることが好ましい(図4)。趣味への取り組みとしては、熱心に意欲を持って行うことと、他の人達とコミュニケーションをとりながら行うのがよい。何らかのかたちで社会参加することが脳の健康を保つ上に重要なことと考える。


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